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1月13日 咸臨丸出航記念日

咸臨丸
引用元:Wikipedia - 咸臨丸

*在米日本人発展史料展覧会で公表された写真だが、咸臨丸ではなくイギリスから購入した軍艦・筑波であるという説もある。

 1月13日は咸臨丸(かいりんまる)出航記念日。安政7年1月19日(1860年2月10日)、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が日米修好通商条約の批准書交換のために浦賀港を出港した日で、日本人初の正式な太平洋横断航海でもあった。

 咸臨丸には勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎などが乗っていた。

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 咸臨丸は、江戸時代後期の幕府海軍が所有し、歴史的な航海を成し遂げた軍艦であり、その名は日本の海洋歴史に金字塔を打ち立てました。木造でバーク式の3本マストを持つ蒸気コルベットとして設計され、その旧名は「Japan」、ヤパン号やヤッパン号とも呼ばれました。その名称、「咸臨」は、古代中国の書物「易経」から採られ、君臣が互いに親しみ合うことを意味しています。

 咸臨丸は、日本が2番目に保有した西洋式軍艦であり、日本の軍艦としては初めて推進機にスクリューを備えていました。このスクリューは、主に入出港時に使用され、航海中は抵抗を減らすために水線上に引き上げる構造になっていたのが特徴でした。また、咸臨丸は、朝陽丸(旧称エド号)および電流丸(旧称ナガサキ号)といった艦船と姉妹艦関係にありました。

 1860年(万延元年)には、その歴史的な航海を果たします。勝海舟、福澤諭吉、中浜万次郎らの遣米使節を乗せ、日本人初の正式な太平洋横断航海を行いました。これは日米修好通商条約の批准書の交換を目的としたもので、その後「咸臨丸の日」として記念されるようになりました。

 しかし、戊辰戦争では軍艦としての機能は他艦に劣り、既に運送船の役割を担っていた咸臨丸は新政府軍によって拿捕されました。その後、明治政府に接収され、開拓使の輸送船として使用されました。

 咸臨丸は、その航海の偉業により、日本の海洋歴史、特に近代化への道程において重要な役割を果たした艦として記憶されています。また、その航海は、日本が海外との交流を深め、現代の国際社会に参画する一歩を踏み出す契機ともなりました。このような意義を持つ咸臨丸は、日本の海洋史、そして国際交流史において、特別な存在として位置づけられています。

批准書(ひじゅんしょ)

 国の代表が署名して確定した条約に対して、国が最終的な確認と同意を示す文書。この文書を交換する事で二国間の条約に効力が発生する。交換ではなく国際機関などに預ける場合もある。