2月13日 苗字制定記念日
2月13日は苗字制定記念日。1875年2月13日、太政官布告によって全ての国民に姓を名乗ることが義務づけられた。
1870年には、姓を名乗って良いことになっていたが、読み書きの不得手な人が多く、姓をつける人が増えなかったため、この日の布告となった。
現在の日本の名字の数はおよそ30万種類。その中でも一番多い苗字は「佐藤」で全国に200万人もいるんだとか。
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明治時代、日本は多くの近代化・西洋化の改革を行っていましたが、その中の一つが「平民苗字必称義務令」という制度でした。この制度の背景には、国の統制と管理の強化、そして戸籍制度の導入という大きな目的がありました。従来、苗字を持つことが許されていたのは士族や武士階級だけで、多くの平民は苗字を持つことが許されていませんでした。しかし、明治8年、つまり1875年に、政府はすべての国民に苗字を名乗ることを義務付ける「平民苗字必称義務令」を制定しました。
この制度の導入により、国民一人ひとりが苗字を持つことになり、それによって国が個々の国民を識別し、管理することが容易となりました。しかし、この制度の導入は、多くの国民にとっては初めての経験であり、どのような苗字を選ぶべきか、悩む人も多かったことでしょう。祖先の地名や屋号、職業名から苗字を選ぶ者が多かった一方、寺や塾の師匠、さらには役場の戸籍係に苗字を選んでもらう者もいました。このような背景から、非常にユニークな苗字が生まれることとなり、現在の日本の多様な苗字のバリエーションの一因ともなっています。
この制度の導入によって、平民も苗字を持つことができるようになったのですが、それに伴い多くの興味深いエピソードや逸話が語られています。例えば、「うちは古い家柄だ」という者が「太古前」という苗字を選んだり、鰻取りの名人が「鰻」という苗字を選ぶなど、当時の人々の生活や価値観が垣間見えるエピソードが数多く存在します。そして、これらのエピソードを通じて、明治時代の人々の日常や心情を感じ取ることができるのです。
平民苗字必称義務令は、現代の日本社会においてもその影響を色濃く残しています。きっと、この制度がなければ、現代の日本の苗字のバリエーションはこれほど豊かではなかったでしょう。そして、この制度を通じて、明治時代の日本の社会や人々の暮らしを垣間見ることができるのです。