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2月23日 咸宜園の日

 2月23日は咸宜園(かんぎえん)の日。「咸宜園」を多くの人に知ってもらうために、大分県日田市が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、「咸宜園」が開かれたのが旧暦の1817年(文化14年)2月26日であったことから、2月23日とした。

 「咸宜園」は年齢、学歴、身分を問わず、すべての門下生を平等に教育することを理念とした塾で、日本最大規模の藩校「弘道館」(茨城県水戸市)、日本最古の学校「足利学校」(栃木県足利市)、日本最古の庶民学校「閑谷学校」(岡山県備前市)とともに「近世日本の教育遺産群」としてユネスコの世界文化遺産登録を目指している。

咸宜園とは

咸宜園の日
引用元:日田市

 江戸時代後期に生まれた儒学者・廣瀬 淡窓(ひろせ たんそう)が豊後国日田郡堀田村(現大分県日田市)に開いた江戸時代における日本最大規模の私塾。咸宜園の名は中国最古の詩篇である『詩経』の「咸く宜し(ことごとくよろし)」に由来する。これは、全てのことが宜しいという意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を塾名に込めたとされる。

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 咸宜園は、日田市に位置する日本最大規模の私塾であり、江戸時代後期に儒学者・廣瀬淡窓が設立した学校です。名前の「咸く宜し」とは、すべてのことがよろしいという意味で、この名は淡窓の教育理念、すなわち各生徒の意思や個性を尊重する思いが込められています。

 この塾は、その受講生が身分や出身を問わず入塾できる開かれた教育機関でした。特に「三奪の法」によって、すべての塾生が平等に学べる環境が保たれました。教育内容も多岐にわたり、四書五経の基本的な教えだけでなく、数学や天文学、医学などの現代的な学問も取り入れられていました。

 咸宜園の塾生たちは、日本全国から集まり、その数は約4,800人に及んだと言われています。学びの場としてだけでなく、生活の場としても機能しており、寮が併設されていたため、遠方からの学生たちも宿泊しながら学んでいました。淡窓の教育における影響力は、その後の多くの塾生たちが社会での活躍を果たすことに繋がりました。

 歴史的に見ると、咸宜園の前身である桂林荘は1805年に設立され、文化14年(1817年)には堀田村に移転して咸宜園と名を変えました。この塾は、明治30年(1897年)まで続いた長い歴史を持っています。現在も、その跡地は国の史跡として保存され、多くの人々に親しまれています。きっと、この場所は日本の教育史上、非常に価値のある遺産として今後も多くの人々に知られ続けるでしょう。

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