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~今日は何の日?~

2月7日 福井県ふるさとの日

 2月7日は福井県ふるさとの日。昭和56年に置県100年を迎えたことを機に、県民の皆が郷土について理解を深め、明日のふるさと福井への思いを新たにするための日として、昭和57年に施行された「ふるさとの日に関する条例」で定められている。

 日付は、明治14年2月7日に太政官布告により福井県が誕生したことにちなんで、2月7日とした。

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 福井県の歴史は、遠く先史時代にさかのぼり、約一万五千年前から人々が住んでいたことがうかがえる豊かな歴史を持っています。この地域は、越前地方と若狭地方に分けられ、多岐にわたる歴史的背景を有しています。

 福井県の先史時代には、ナイフ型石器や銅鐸などが出土し、四世紀初めには嶺北地方で前方後円墳が造られました。手繰ケ城山古墳や六呂瀬山古墳群などは北陸地方最大規模であり、強大な勢力が存在していたことが推察されます。

 七世紀後半には律令制の導入に伴い、「若狭国」と「越前国」が成立しました。若狭国は都に塩を納め、越前国は塩や魚などの海産物で知られ、特に渤海との交流が盛んでした。これにより、越前国や若狭国は交易の拠点となり、さらには宋人との交流も行われました。

 中世期には、越前国の東大寺領荘園が荒廃し、皇室領や摂関家が中心となりました。白山信仰も盛んになり、平泉寺が興隆しました。

 近世では、江戸時代に越前藩が成立しました。越前藩は、福井藩とも呼ばれることがあり、藩政の中心地として福井市が発展しました。

 近代では、明治期に廃藩置県が進行し、福井県は一時期分割されたり合併されたりと変遷を続けました。最終的には一八八一年に、現在の福井県が設置されました。

 福井県は、その地形や風土から越山若水と称され、越前の山々と若狭の清らかな水が象徴しています。また、地理的には北陸地方または中部地方と分類され、行政管轄区分では近畿地方とされる場合もあるなど、多岐にわたる地域性を有しています。

 福井県の歴史は、その自然と人々の暮らし、交易と信仰、政治と経済などが織り交ぜられた複雑で多彩なものであり、今日においてもその風物や文化に色濃く反映されています。

ふるさとの日に関する条例

昭和五十七年三月二十三日福井県条例第一号
ふるさとの日に関する条例を公布する。
ふるさとの日に関する条例
(目的)
第一条 県民が、自らの郷土について理解と関心を深め、より豊かな郷土を築きあげることを期する日として、ふるさとの日を設ける。
(ふるさとの日)
第二条 ふるさとの日は、二月七日とする。
(県の行事等)
第三条 県は、ふるさとの日についての啓発に努めるとともに、その日を中心として、ふるさとの日の趣旨にふさわしい行事を