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~今日は何の日?~

3月1日 ビキニ・デー

第5福竜丸

 3月1日はビキニ・デー。1954年3月1日、ミクロネシアのビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸が死の灰を浴びたことにちなんだ日。

水爆実験の豆知識

 水爆実験に関しては日本では第五福竜丸の被爆だけが注目されがちだが、ビキニ環礁での水爆実験は計67回にも及び、その結果、複数の島が消滅や28種のサンゴの絶滅、他にも現地島民の強制移住やミクロネシア住民の被爆の隠蔽など当時のアメリカは様々な問題を引き起こしている

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 ビキニ環礁での水爆実験は、冷戦時代の核兵器競争の中で、アメリカがその力を示すために行った一連の核実験の中でも、特にその影響が大きかったものです。昭和29年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁において、アメリカは「ブラボー」と名付けられた水爆を炸裂させました。この爆発は、広島に投下された原爆の約1000倍の破壊力を持ち、その影響は周辺地域だけでなく、遠く離れた場所にも及びました。

 この実験の後、約160キロメートル離れた海上で操業中の第五福竜丸という日本のマグロ漁船が、放射性物質を含む「死の灰」と呼ばれる放射性降下物に直接晒されました。乗組員23人全員が被ばくし、その後の健康被害が続出し、1人はこの年の9月に亡くなりました。この事件は日本国内で大きな衝撃をもたらし、「原爆マグロ」という言葉が生まれ、国民の間に原水爆禁止の機運が高まるきっかけとなりました。

 ビキニ環礁自体は、アメリカによって1946年から1958年までの間、核実験の場として使用され、多くの実験が行われました。これらの実験は、ビキニ環礁の自然環境だけでなく、地域の住民の生活や健康にも深刻な影響を及ぼしました。現在も、一部の環礁では放射線量が高く、住民の帰還が許されていない場所があります。

 ビキニ環礁での水爆実験は、核兵器の恐ろしさと、それによる人間や環境への影響を改めて世界に知らしめる出来事となりました。この歴史的な事件を受けて、多くの人々が核兵器の廃絶を求める運動に参加し、平和のための活動が広がっていきました。ビキニ環礁の歴史は、私たちに核兵器の恐ろしさと、平和を守るための重要性を改めて教えてくれるものとなっています。