カレンダーをめくってみれば
~今日は何の日?~

3月12日 だがしの日

駄菓子売り場

 3月12日はだがしの日。日本の精神、文化が凝縮された駄菓子業界の活性化と、DAGASIを世界平和のキーワードとして世界中の人々に知ってもらうために、全国の駄菓子メーカーなどで結成されたDAGASHIを世界用語にする会が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、お菓子の神様と呼ばれている田道間守(たじまもり)の命日が3月12日とされていることから、3月12日とした。

駄菓子の豆知識

 江戸時代には1個の単価がおよそ一文であったところから、「一文菓子」と呼ばれていた。駄菓子の「駄」は荷物を負う馬という意味で、人は乗せない劣った馬とされる。このことから菓子に駄の字を冠したものは、人の口には合わないとの意味がある。

 ちなみに、日本一の駄菓子売り場は岡山県瀬戸内市にある。

◆◆◆

 駄菓子の歴史は、日本の菓子文化の中でも特にユニークな位置を占めています。元禄年間の大坂に端を発し、上菓子という高級な輸入砂糖を使った菓子に対し、安価な国産の黒砂糖を使用して作られた雑菓子が駄菓子の起源であるとされています。これらは、庶民にとって手に入れやすい小さな楽しみであり、食の民主化を象徴する存在でした。19世紀の京坂では「駄菓子」という名で広く知られるようになり、さらには地方の藩政時代に払い下げられた糒を利用した郷土菓子としても定着しました。

 昭和の時代までは、子供たちが小遣いで購入できる駄菓子は駄菓子屋で購入されていましたが、時代の変遷とともにその購入の場所はコンビニやスーパーへと移行し、現代ではパッケージデザインや衛生面での進化を遂げています。駄菓子の中にはクジ引きができるなど、子どもたちにとっての娯楽性も兼ね備えているものもあります。このように、駄菓子はただの食べ物を超えた文化的な背景を持ち、時代とともにその形を変えながらも人々の心に残るものとして存在し続けています。

田道間守

 「日本書紀」と「古事記」に登場する人物。第11代垂仁(すいにん)天皇の命により、常世(とこよ)の国から非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を持ち帰った。
 現代のように砂糖などを庶民が口にできなかった昔、果物は「果子(かし)」と呼ばれ、その中でも橘は果子の最上級品とされていた。そんな橘を持ち帰ってきたことから田道間守は菓子の神と言われるようになった。

非時香菓

 日本書紀では不老不死の霊薬とされている柑橘類だが、普通に実在する。中国・四国・近畿地方の海岸に近い山地にまれに自生している。橘の実のこと。

橘

常世の国

 古代日本で信仰されていた、海の彼方にあるとされる異世界。黄泉の国とも呼ばれる。

記念日とかいろいろ

お菓子の記念日