3月14日 切腹最中の日
3月14日は切腹最中の日。元禄14年3月14日、殿中「松の廊下」で
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切腹最中は、日本の歴史において重要な事件である赤穂事件、通称「忠臣蔵」にちなんで名付けられた和菓子です。この和菓子は、浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ事件をモチーフに、日本の伝統的な最中の形を刀傷に見立てたユニークなコンセプトで市場に登場しました。切腹最中は、そのユーモラスな命名と、独特のストーリーが消費者の心を捉え、和菓子としての新たな楽しみ方を提案しました。
和菓子としての切腹最中は、外見は通常の最中と変わらないものの、中身にこだわりを持って作られています。伝統的な製法で作られる最中の皮には、しっとりとした食感と香ばしさがあり、中の餡は上品な甘さが特徴です。
また、切腹最中は、その名が示すように、日本特有の武士道精神や、切腹という行為の重みをユーモアを交えて表現しています。それは、日本人が歴史や文化をどのように受け継ぎ、また新しい形で楽しむかという工夫とセンスが光るものです。
切腹最中
元禄十四年三月十四日、殿中「松の廊下」で後の「忠臣蔵」へと発展する刃傷事件は起こりました。巳の上刻(午前十時)から六つ刻(午後六時)過ぎにかけて、刃傷・・・・田村邸お預け・・・・評定・・・・切腹・・・・と、その日のうちに矢継ぎ早に執り行われたと言います。「切腹」・・・・殿中での刃傷とあればや無を得ぬお裁きとはいえ、ここで問題なのは、浅野内匠頭がいかに青年の激情家であったにしろ、多くの家臣、家族を抱える大名であったのだから、今少し慎重な調査がなされても良かったのではなかろうかということでした。喧嘩両成敗の原則をも踏みにじった、公平を欠く短絡的なお裁きが、後の義挙仇討ち「忠臣蔵」へと発展したことは否めません。当店は、切腹された田村右京太夫屋敷に存する和菓子店として、この「忠臣蔵」にまつわる数々赤穂浪士写真の語り草が和菓子を通じて、皆様の口の端に上ればという思いを込めて、最中にたっぷりの餡を込めて切腹させてみました。「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」の辞世の句とともに、本品が話しの花をさかせるよすがともなればと心を込めておつくりしております。