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4月12日 国分寺ペンシルロケット記念日

国分寺ペンシルロケット記念日
引用元:ウィキペディアより

 4月12日は国分寺ペンシルロケット記念日。「日本の宇宙開発発祥の地・国分寺市」をアピールするために、東京都国分寺市が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、1955年4月12日に東京大学生産技術研究所の糸川英夫博士らにより、国分寺町(現在の国分寺市)で日本で初めて「ペンシルロケット」の水平発射実験が行われたことからから、4月12日とした。

ペンシルロケットとは

東京大学生産技術研究所の糸川英夫博士主導で開発された鉛筆のような形の超小型ロケット。1号機は全長23cm、直径1.8cmだった。1955年4月に29機の試射を行い、これが日本のロケット開発の原点となった。

◆◆◆

 糸川英夫は1912年に東京で生まれ、「ロケットの父」として知られるようになりました。幼少期に飛行機のアクロバット飛行を目の当たりにし、パイロットへの強い憧れを抱いたのが、彼の航空への情熱の始まりでした。その後、エジソンに憧れたり、自然と遊びながら科学への興味を深めたりするなど、幅広い好奇心を持つ少年時代を過ごしました。

 中学時代にはチャールズ・リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行に触発され、「太平洋横断飛行」を夢見るようになりました。この夢は、後の彼のロケット研究につながる強い動機となりました。東京帝国大学(現東京大学)航空学科に進学し、卒業後は中島飛行機に入社。戦時中は軍用機の設計に携わりましたが、戦後は航空機の研究が禁じられたため、脳波の研究や音響工学に転向しました。

 1953年にアメリカに渡った先で宇宙医学に触れ、ロケット開発への情熱が再燃。帰国後、東京大学で日本初のロケット研究チームを立ち上げ、「ペンシルロケット」を開発しました。その後、秋田県道川でのロケット実験を経て、「カッパロケット」の開発に成功し、日本の宇宙開発の基礎を築きました。彼の生涯は、夢を追い続ける情熱と挑戦の歴史であり、日本の宇宙開発史において欠かせない存在として語り継がれています。

記念日とかいろいろ

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