カレンダーをめくってみれば
~今日は何の日?~

5月14日 斎藤茂吉記念日

斎藤茂吉記念日
引用元:ウィキペディアより

 5月14日は斎藤茂吉記念日。記念日を通して斎藤茂吉の存在と業績を知ってもらうために、山形県上山市の公益財団法人斎藤茂吉記念館が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、生誕日(1882年5月14日)から、5月14日とした。

斎藤茂吉

 読み方は「さいとう もきち」。1882年、明治15年に今の山形県上山市に生まれ、精神科医として働きながら、70歳で亡くなるまでに1万7000を超える短歌や随筆、歌論等の作品を残した。2022年に生誕140年を迎えた。

◆◆◆

 斎藤茂吉は、1882年5月14日に山形県の金瓶村で生まれました。金瓶は蔵王連峰を仰ぐ養蚕の村で、茂吉はここで自然に囲まれながら育ち、幼少期から宗教心や芸術への興味を深めていきました。14歳で東京に移り、医学と文学の道を歩むことになります。開成中学校を経て、東京帝国大学医科大学に進学。医学を学ぶ一方で、短歌にも情熱を注ぎ、1906年に短歌の道を本格的に歩み始めました。

 1913年には第一歌集『赤光』を発表し、文学界で注目を集めます。この頃、斎藤紀一の婿養子となり、斎藤家に入籍。その後も「アララギ」を中心に短歌活動を展開し、歌論や評論、随筆にも優れた作品を残しました。1921年には長崎医学専門学校の教授として赴任し、後に欧州留学を経て、精神医学と法医学の研究を深め、医学博士の学位を取得します。

 戦時下では、激動の時代を生き、多くの試練に直面しながらも、柿本人麿の研究に没頭。帝国学士院賞を受賞するなど、学問の分野でも大きな足跡を残しました。晩年は郷里や最上川畔で過ごし、自然との対話を通じて多くの短歌を詠み続け、歌集『小園』や『白き山』などを発表しました。

 1951年には文化勲章を受章し、日本の文化と学問に対する貢献が高く評価されました。1953年には70歳でこの世を去りましたが、その生涯は、医学者として、また歌人として、日本の文化史に大きな足跡を刻んだものでした。斎藤茂吉の業績は、今も多くの人々に影響を与え続けています。