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~今日は何の日?~

7月1日 モラエス忌

 7月1日はモラエス忌。モラエス翁顕彰会(現・NPO法人モラエス会)が90年間にわたって毎年命日の7月1日に法要を営んでいることを後世に伝えるために、徳島県のモラエス研究会が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、ゼラチンがフランス菓子と料理によく使われることからフランス革命の日である7月1日とした。

 また、この時期はゼラチンやゼリーの消費が増えることもその理由のひとつ。

モラエスとは

モラエス忌

 本名は、ヴェンセスラウ・ジョゼ・デ・ソーザ・モラエス。1854年生まれのポルトガルの外交官・文人で、著書には『おヨネとコハル』『徳島日記』などがある。1889年に初めて来日し、1899年に初代領事となり、1913年まで勤めた。その後は徳島へ移り住み、1929年7月1日に徳島でその生涯を閉じた。旧宅のあった徳島市伊賀町一帯にはモラエスの名を冠した「モラエス通り」と名付けられた通りがある。

 徳島市内ではちょっとだけ知名度があるとか無いとか…

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 ヴェンセスラウ・ジョゼ・デ・ソーザ・モラエスは、1854年にポルトガルの首都リスボンで生まれた軍人、外交官、そして文筆家です。彼は1889年に初来日し、その後、1899年には日本で初めてのポルトガル領事館が開設された際に在神戸副領事として赴任しました。1913年まで総領事として勤め上げた後、徳島へ移り住み、1929年7月1日に徳島でこの世を去りました。

 モラエスは、マカオ時代に現地女性の亜珍と結婚し、2人の子をもうけた後、日本で新たな人生を歩み始めました。特に神戸在勤中に出会った芸者、おヨネとの交流は彼の人生に大きな影響を与え、おヨネの死後は彼女の故郷である徳島に移住しています。徳島では、おヨネの姪である斎藤コハルと共に過ごしましたが、彼女にも先立たれてしまいます。

 モラエスの著作には『おヨネとコハル』『徳島日記』などがあります。これらの作品を通じて、彼は日本の自然や文化、人々の生活を独自の視点で捉え、その魅力をポルトガル語で伝えました。生前には日本でほとんど注目されなかったものの、没後に日本語訳され、日本賛美として広く読まれるようになりました。

 彼の生活や作品は、その後も多くの人々に影響を与え、新田次郎の『孤愁 サウダーデ』や池内紀の書評など、多くの文学作品や評価に影響を与え続けています。徳島市にはモラエスを偲ぶ「モラエス通り」があり、彼の墓所は徳島市西山手町の潮音寺に存在します。また、彼の旧宅の一部は眉山山上の「モラエス館」に移築され、保存・活用されています。

 モラエスは、日本とポルトガルの文化交流に貢献し、異文化理解の架け橋となった人物として、今もなお多くの人々に記憶され、尊敬されています。その作品は、異国の地で生きた彼の深い愛情と理解、そして時には孤独や悲哀を伝えており、後世に大きな足跡を残しています。

記念日とかいろいろ

誰かの記念日