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2月24日 等伯忌

松林図屏風
引用元:Wikipedia

 2月24日は等伯忌長谷川等伯(はせがわ とうはく)を顕彰する市民団体等伯会が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、長谷川等伯の命日が慶長15年(1610年)2月24日であることから、2月24日とした。

長谷川等伯

 安土桃山時代から江戸時代初期の絵師。国宝になっている『松林図屏風』などが有名。

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 長谷川等伯は、群雄割拠の安土桃山戦国時代、特に桃山時代に活躍した著名な画家であり、長谷川派の初代絵師として知られています。能登の地で生まれ育った等伯は、33歳の若さで上洛し、その才能を認められるようになります。千利休や豊臣秀吉といった時代の大立者たちを後ろ盾に持ち、彼は狩野派に対抗して急速に名声を築き上げました。

 彼は牧谿や雪舟の影響を受けた水墨画の技法を取り入れ、独自の画風を確立しました。その中でも、彼の晩年に自らを「雪舟五代」と称し、家系と画系の伝統を主張したことは特筆すべき点です。等伯は、一代で長谷川派を立ち上げ、狩野派と肩を並べる存在へと成長させました。しかし、彼の後を継ぐはずだった長男の久蔵は若くして亡くなり、その後も次男の宗宅も短命でした。このような中、左近という画家が等伯の画風を受け継ぎ、新たな方向性を持たせて続けました。

 等伯が上洛した後の活動は、非常に多岐にわたります。日蓮宗の高僧や堺の町衆との交流を深める中で、多くの肖像画を手掛けました。そして、豊臣秀吉からの依頼で金碧障壁画を制作するなど、その技術と才能は広く認められていました。彼の代表作として挙げられる「松林図屏風」は、水墨画の傑作として知られ、霞の中の松の美しさや湿潤な空気感を巧みに表現しています。この作品は、彼の息子久蔵の死を受けて、自らの心情を映し出したものとも言われています。

 長谷川等伯は、歴史の中で多くの挑戦と革新を遂げた画家として位置づけられています。彼の情熱や才能は、日本の美術史に深く刻まれ、きっとこれからも多くの人々に感動を与え続けるでしょう。