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9月15日 関ケ原合戦の日

 9月15日は関ケ原合戦の日。記念日を通して関ケ原合戦が行われた日を広く世間に知ってもらい、この歴史的な転換日を関ケ原の地域資源として活性化に繋げるため、一般社団法人関ケ原観光協会が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日付は、関ケ原合戦が始まった慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)から、9月15日とした。

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 関ヶ原の戦いは、1600年に発生し、日本史上最も重要な合戦の一つです。この戦いに至るまでの経緯には、徳川家康、石田三成、前田利家といった重要人物が深く関わっています。

 徳川家康は、豊臣秀吉亡き後の政権を巡って最も影響力を持つ大名の一人でした。秀吉の遺言を無視し、独自の政策を推進することで力をつけ、他の大名との結婚や領地交換を行いながら自らの勢力を拡大していきました。家康の行動は他の大名からの反発を招き、特に石田三成との対立が顕著になります。

 石田三成は、豊臣政権下で五奉行の一人として活躍し、秀吉の死後は豊臣家の権益を守る立場から徳川家康の勢力拡大を牽制しました。家康の政策に公然と反対し、豊臣秀吉の遺志を継ぐ形で反家康連合を組織し、最終的には関ヶ原の戦いを引き起こす原動力となります。

 前田利家は、関ヶ原の戦いが起こる前に亡くなっていますが、生前は重要な仲裁役として活躍していました。特に家康と三成の間で対立が深まる中、利家は両者の間を取り持つことで事態の悪化を防ぐ努力をしていました。利家の死後、調停者を失ったことで、対立は一層激化し、最終的には開戦に至ることとなりました。

 関ヶ原の戦いでは、家康が率いる東軍と三成が率いる西軍が激突し、戦いは東軍の勝利に終わります。この結果、徳川家康は事実上の日本全国の支配者となり、その後の江戸幕府の基礎を築くことに成功しました。一方で、三成をはじめとする西軍の大名たちは厳しい処分を受け、その多くが没落の道を歩むこととなりました。