カレンダーをめくってみれば
~今日は何の日?~

毎月15日 お菓子の日

 毎月15日はお菓子の日。1981年に全国菓子工業組合連合会が制定した。

 日付は、お菓子の神を祀った神社の例大祭が15日に行われていたという話から、毎月15日とした。

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 お菓子の神様として知られる田道間守神は、和歌山県の橘本神社に祀られています。この神様は、かつて不老不死の象徴とされた「橘」を手に入れるために、シナやインドに旅立ち、約10年をかけて探し出しました。この功績から田道間守神はお菓子の神様として敬われるようになりました。また、田道間守神の故郷でもある兵庫県豊岡市の中嶋神社にも祀られており、こちらでも4月に菓子祭が開かれています。

日本の菓子の歴史を巡る旅

 栗の実を粉状にしたものを固めて焼いたと見られる縄文時代のクッキー、そして奈良から平安時代の唐菓子へと時間を遡ってみましょう。これらは、日本の菓子作りの源流となり、後の和菓子の基礎を築きました。特に、奈良から平安時代にかけて中国から伝わった穀類を粉にして加工する食品は「唐菓子」、つまり「からくだもの」と呼ばれ、後の菓子作りに大きな影響を与えました。

 次に、室町から安土桃山時代に茶道が隆盛を迎えると、点心としての菓子が注目されるようになります。この時期には、中国から羊羹や饅頭などが伝えられましたが、日本ではこれらが小豆や豆類などの植物性の素材に置き換えて作られるようになりました。これが、今日私たちが愛する和菓子の原点とも言えますね。

 そして、室町時代末から鎖国令までの間、日本は南蛮菓子の輸入時代を迎えました。これらの新しい菓子、たとえばカステラやボーロ、金平糖、カルメラなどが日本に入ってきたことで、日本独自の製法が工夫され、和菓子として発展していきました。

 また、菓子の進化は地域によっても異なりました。例えば、茶道とともに発展した点心は京都でさらに進化し、「京菓子」として知られる練り羊羹や餅菓子、打物の干菓子などが生まれました。一方、江戸では、京菓子に対抗して「上菓子」と呼ばれる独自の菓子が隆盛を迎え、黒砂糖を用いた「駄菓子」も大きく発展しました。

 そして、明治維新により、日本の菓子は新たな革命期を迎えます。海外からドロップ、キャンディ、チョコレート、ビスケットなどが輸入されるようになり、日本の「洋菓子」が誕生しました。このころから、日本の菓子作りは大きく発展し、多様な形の菓子が生まれていきました。

 戦時中には、洋菓子も和菓子も公定価格が導入され、原材料に基づいた規格が定められました。しかし、これによって高価な材料の使用が制限され、製品の質が下がるという問題も生じました。

 そんな歴史を経て、今日の日本の菓子があります。和菓子も洋菓子も、そのどれ一つとっても長い歴史と豊かな文化が詰まっているんですね。次にお菓子を頬張るときは、その歴史を思いながら味わってみてはいかがでしょうか。

記念日とかいろいろ

毎月15日の記念日

お菓子の記念日